「懇談」という言葉を辞書でひくと、「打ち解けて親しく話し合うこと」というように出てくるわけですが、私が出席した特別支援級の懇談会はそのような感じではありませんでした。
昨年度と先生が変わったわけですが、昨年の先生に対して不満を持っている上級生の保護者が数名いて、怒ったような表情で昨年度を不満を先生にぶつけていました。
私は療育センターのときのつながりから、娘と同級生で、同じ地域の別の小学校のお母さんたちと親しくさせていただいていますが、それぞれの学校の懇談会が終わった頃、数人で集まってお茶をしました。
そこで、他の小学校の特別支援級の様子も知ることができました。
懇談会というのは「先生に意見をぶつける場」という感じなのはどこも共通しているようで、いろいろな要望が出され、中には先生のやり方を批判するような要望もあるので、和やかな雰囲気ではいかないところが多いようです。
私はというと、今は傍観中です。
先生の考え方ややり方を、もっと知ってから要望を出したいと思ったので。
娘が困っていることなどはその時その時で伝えていますが、支援級の先生のやり方の根本に抵触するようなことは、もっと先生のことを知ってからにします。
目下のところ、娘の学校生活で気になるところは学校の勉強が簡単すぎて本人のやる気ダウンにつながっていることなのですが、1年生の今頃は、支援級でなくても国語・算数は簡単すぎると思うので、ある程度は我慢させないといけませんね。
50音1文字のなぞりに1時間の授業を使っていたりするのですが、さすがに50回の授業を平仮名だけに充てるようなことはしないと思うので、そのうちスピードアップするのでしょうか。。。
以前からこのブログにも書いていますが、子供は自分の実力よりもほんの少しだけ難しい問題ができるとうれしかったりするので、それが勉強へのモチベーションにつながると思うのです。
その「ほんの少し」というさじ加減が、長いスパンで一人の子の勉強を見てきた人しかわからなかったりするわけですが、複数の子供に勉強を教える学校の先生にそれを求めることが正しいかどうか、今の私にはわかりません。
昨年度の支援級の先生は、子供のやる気しだいでどんどん先の勉強に進んでくれる先生だったので、娘に合っている感じがして、この先生だったらいいな、と密かに思っていました。
今年度の先生は、校外学習の時間がわりと多く、通常級との交流も少なめに設定する先生で、「勉強よりも大切なことを身に付けさせたい」という考えがあるようです。
学校によって、交流の多いところとそうでないところといろいろなのですが、支援級の多くのお母さんに共通しているのが、「交流を多めにしてほしい」ということです。
この点、娘の通う学校の支援級の先生は、「交流は多ければよいというわけではないと思います」と懇談会ではっきりと言っていました。
交流は多いほうがよいのか、ということですが、私が思うに「子供のタイプによって違う」ような気がします。
支援級のすべての子について、一律に同じ方針でいくというのは、個別に支援するという意味合いからは外れていると思います。
私の住む地域の学校の支援級は、交流の授業にたくさん出たり、テストを受けたところで通知表に評価は出ないので、「交流は多くあるべきだ」という考えに固執しなくてもよいかなぁと思っています。今のところ。
通常級の子と、学習の進度を合わせていきたい、自分の子の学習進度が遅れないようにしたい、という保護者の気持ちもわかります。
まずは「学校で楽しく過ごす」という状況を確保し、さらに勉強を少しでも進めてあげたいと思うときは、家庭学習を親子で頑張るしかないですね。
支援級の先生も、担任として、「クラスを一つにまとめたい」という気持ちがあるのがわかるので、交流ばかりだと「子供不在の支援級」となって、クラスとしての活動に支障が出てしまいます。
先生の気持ちと保護者の気持ちが交差する懇談会でしたが、1年生の私は、もうしばらく傍観する存在でいようと思っています。
関連記事(1):教科書を使わない支援級。家ではチャンレンジ タッチ1年生が大活躍?
関連記事(2):大阪市立南住吉大空小学校「みんなの学校」を見て。特別支援のあり方
関連記事(3):NHKEテレ ハートネットTV「自閉っ子 学校へ ―父が撮った240日―」を見て。
)
読んで下さってありがとうございます。よかったらシェアをお願いします。
http://ryoiku.mamagoto.com/sienkyu/sienkyukondankai小学校の特別支援級の懇談会のこと。どこか殺伐と?