「傷つく子ども なくしたい~施設で育ったオレの夢~」を見て NNNドキュメント
先日見た日テレのNNNドキュメントは、「傷つく子ども なくしたい~施設で育ったオレの夢~」というタイトルで、両親から虐待され、10年間施設で過ごした21歳の宮本一幸さんの兆戦を追っていました。
児童養護施設や里親のもとで育った人たちのスピーチコンテストが、7月に福岡市で初めて開かれたそうです。
宮本さんもこのコンテストに挑戦すべく、3人の市民ボランティアとともに準備を進めていきます。
ずっと孤独だったからこそ伝えたかった想いというのがあり、宮本さんはそれをスピーチで伝えたいと思っていました。
宮本さんは17歳の頃、衝撃的な出来事がありました。
夜の9時頃、たまたま入ったファミレスで見た光景。
7歳の少女が、たった一人でごはんを食べていたそうです。
「何で一人なんだろう?」と思いながら様子を見ていると、以前、児童相談所で一緒に生活していた子だと気が付き、いてもたってもいられず、宮本さんは声をかけたそうです。
「一人で食べようと?」と宮本さんが聞くと、「お父さんがお仕事でおらんけん、一人で食べようと」と言ったそうです。
その時、宮本さんは強く思ったそうです。
「こんな寂しい思いをこんな小さな子どもにさせてはいけない」
宮本さんは、こんな子どもたちを救って守りたい、という思いで児童福祉の専門家になるという夢を持ちます。
このドキュメンタリーでは、宮本さんをサポートする市民ボランティアの人との関わりも映し出すことで、大人を信じられなくて警戒していた過去のある宮本さんが、人の親切や愛情を受け取って前へ進もうとしている力強さを感じます。
どうして私はこういったテーマの番組に見入ってしまうのだろうとあらためて思いましたが、「社会の片隅で実際に存在していること」というのがポイントなのかもしれません。
自分の生活と照らし合わせて考えてみると、私と娘の生活の流れは「多数派」には含まれないものなので、どこか「社会の片隅感」を感じているのかもしれません。
健常のお子さんばかりのコミュニティだと、急な予定変更や情報不足で不安になり、娘は心から楽しめないのですが、障碍者よりのコミュニティだと、いろいろ配慮があるので過ごしやすかったりします。
どこかのサイトで「障碍児の親は健常児の親に対して壁を作っている」と書いてあったのを見たことがあります。
いろいろ困難なことを抱えている障碍のある子が、すべて健常の子に合わせなければお付き合いできないような環境のコミュニティでは、どうにもこうにもやってはいけません。
自然に距離ができてしまうのは仕方ないことのように思いますがどうでしょう・・・。
たまに、ボランティア的な意識がある、他者の境遇に寄り添って下さる方もいることはいますが、「多数派に合わせるべし」という考えが世間では圧倒的だと思います。
そんなわけで「社会の片隅感」・・・。
娘が小学校に入ってから、さらに強まっている気がします。
片隅ではありますが、娘が笑っているのを見ると、それはそれでよいと思うし、幸せなのかもしれません。
多くの人と共有できることではないけれど、心の中にたまに小さな花がそっと咲いたりしているような人の生きざまも、それはそれでよいのではないでしょうか。
私の古くからの友人で、ご両親を小さい頃に亡くした人がいますが、お互いに遠くに引っ越しても、なんだかんだで未だに繋がっています。
「社会の片隅感」でつながっているのかな・・・。
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